ついに青森県 霊場恐山へ

2日目は霊場・恐山へ。
恐山に行きたいと思った元々のきっかけは、やはり温泉でした。
とてつもなく良い湯が境内の至る所で湧出しており、しかも宿坊に泊まると22時まで入り放題というではありませんか。
岩倉温泉から電車とバスを乗り継いで、5時間半ほど。

青い森鉄道に乗り、

JR大湊線で盛岡駅で買った福田パンを頬張るよ!

恐山行きのバスは山道をくねくね登っていく
一つでも乗り換えを間違えようものなら、今日中には到着できない。そんな緊張感と共にやってまいりました恐山!

三途の川
美しい湖からポコポコと音を立てて温泉が沸いているじゃありませんか。もう期待が高まるばかり。

この「宇曽利湖」は酸性のため生物はほとんど棲むことが出来ないそうな。そのせいか美しく澄んでいました。
まず私の恐山に対する印象ですが、霊魂とかおどろおどろしさは皆無。

むしろ賑やかで地球の美しさを感じられる場所。

ただし、硫化水素のせいで生物が住むのに適さない場所でもある。
どこもかしこも凄まじい硫黄臭。おかげでスマホがいつ壊れるかハラハラしっぱなし。
宿坊の電化製品はガンガン壊れるそうで、その証拠に自販機はどれも故障中。そんな場所で快適に過ごさせていただけるなんて、有り難すぎます。
持参したアイシャドウのラメ(右下)も真っ黒に変色。

本日の宿、吉祥閣へチェックインします。

1泊2食付きで17,000円。食事は肉魚を使用しない、豪華な精進料理です。
宿坊の写真をブログに掲載して良いか確認するとやんわり断られたので、宿坊内は写真なしでお届けします。
それもそのはず、ここは旅館ではなく宿坊。
もし精進料理や温泉が広まってしまうと、宿坊の厳かな空気が壊れてしまうのでしょう。
実際に、温泉特集などのテレビ取材が来ても全て断っているのだそう。
電話に出てくださったらしき女性が温かく迎えて下さりました。
懸念していた「硫黄でスマホが壊れないか問題」について聞いたところ、私たち何年もここにいますが大丈夫ですよとの回答だったので、スマホ用に持参したジップロックはしまい込みました。
恐山での過ごし方
初の恐山で、宿坊泊は大正解!
テレビもなく、Wi-Fiも一切繋がらないけれど、忙しいったらない(笑)
22時までは境内の温泉に入り放題だし、部屋には面白そうな南院代(恐山住職代理)の本はあるし、通常参拝では入室できない「地蔵殿」で法話を聞いたり、朝勤行を経験できたりする。

境内の温泉(写真は冷抜の湯)

境内の湯小屋

部屋にある南院代の本。滞在中に読むと恐山をもっと身近に感じられます。
一人旅の場合は相部屋になる可能性があるそうですが、今回は一人で広い和室を悠々と使わせていただけました。
(お見せできなくて残念だけれど、高級ホテル並みの広さと清潔さと快適さ!)
宿泊の良いところの一つは、一般の参拝客が帰った後の静かな境内を散策できるところ。

初秋の夕暮れ

小さくて可愛い「身代わり地蔵」守りを授かりました

黄昏時の湯小屋

夜は懐中電灯を持って、境内の温泉に入りにいきました。
22時ちょっと前に行きましたが、薄気味悪さや怖さはありませんでした。しんと静まり返っていて、お湯がチョロチョロと流れる音だけが響きます。
お湯は、酸性・含鉄 ナトリウム塩化物泉。舐めると少し酸っぱく塩味。
湯の花が豊富で、半分くらいの白濁具合。
メタケイ酸200越えと豊富なため、湯上がりの肌はしっとりすべすべになります。目に入ると激痛なので絶対に洗顔しないで!と釘を刺されました。
夜の地蔵殿での法話
19時から自由参加で法話を聞くことができました。南直哉院代(恐山住職代理)の明るいこと面白いこと。
お話しいただいた内容をざっくりまとめると、
恐山に霊?いませんよお、私20年ここにいるけど一回も見たことないし。人は死んだらどうなりますか?とかよく聞かれるんだけど、この世にいる人は誰も死んだことないのに答えられるわけないよねえ。あと気持ちよく死ぬためにはどうしたらいいかっていうのも聞かれるけど、無償で他人に尽くすことが最強だよね、まあ死んだことないけど。
こんな感じの内容。とても良いお話でした。
あとはイタコと恐山は契約関係にない件や、恐山のコワ面白エピソード(クレーム系)とか。
皮肉を言いつつも参加者への愛があり、皮肉を言うたびにニヤリと笑い、その笑みがコワ面白くて、参加者みんなで顔を合わせて笑う。また小道具の扇子の使い方が秀逸で、恐山でこの方が怪談話をやったら流行るだろうなあ。
いつもお会いできるわけではないということを翌日知り、自分のラッキーさを噛み締めました。
私がフロントで購入した院代の新刊↓
恐山で肝が冷えたこと
ちなみに恐山で一番印象的…というか肝が冷えたのが、本堂の天井まで積まれた花嫁人形。

花嫁人形のイメージ画像
白無垢の日本人形を初めて見たというのもあるけど、まずその量に驚く。
そしてそれがどういうものなのかを知ったのは、部屋に置いてあった院代の本を読んだ時。
独身のまま他界した我が子が来世で結婚できるように親御さまが特注した人形で、それを供養のために恐山に持ち込むが、恐山側もこの類のものはお焚き上げするのに少し躊躇するため、どんどん天井へ積み上がっていくらしい。
恐山は霊魂ウヨウヨ、みたいなイメージがあるけれど実際にはそうではなく、残された人間の死者に対する行き場のない想いや執着を苦しいほどに感じる場所でした。

遺族へのどうにもならない悲しみややるせなさを解消できずにすがるお助け道場みたいな位置付けなのかと。
ちなみに院代のお話によると9割の人が死んだら天国へ行くと信じているのだそうで、もしそれが本当なのだとしたら恐ろしいことだと思う。
私の場合は、死を「終わり」として強烈に意識しないことには、永遠に生きることにスポットライトを当てられない。いつも先延ばしタイプなので。
つまり、死んだら全部お終いよってことにしないと、「来世こそは」とか「ま、あの世があるし」みたいな甘えが出てしまい、いつまで経ってもこの世を本気で楽しめやしない。
あの世や来世を考慮せずに生きた方が、結果的に悔い無く生きれてトクだよね、と思ってしまうのは私が無宗教で現代人だからなのでしょうか。
年齢や経験とともにその感覚も変わっていくのかもしれません。

恐山宿泊の良いところは、ご縁あって一緒になった方々と般若心経を唱えて食事をとり、法話では一緒に笑い、朝勤行などの行動を共にしているうちに同志感覚が生まれるところ。
私が勝手に同志だと思っているだけなのですが、チェックアウトしてみんなバラバラになっていくときはなんか寂しかった。誰とも喋ってないけども。大人の合宿みたいだったなあ。一期一会でした。

美しい早朝の恐山

極楽浜の水の澄み切り方といったらまさに極楽浄土

地蔵殿までの参道

地蔵殿。法話も朝勤行もこちらで行われる。

奥の院方面から
執着はなぜ生まれるのか。
深く考えさせられ、硫黄成分でちょっとクラクラになる、楽しい恐山滞在でした。


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