不良ミニマリストが考える幸せの条件

よく「勝ち組」という恐ろしげな言葉を耳にしますが、人生の幸せとは何でしょう?

年収、資産、学歴、職歴、子供の有無、配偶者の有無、容姿 などなど、他人と比べる要素が溢れるこの世界。

嗚呼、この多様化する現代において、人生の勝ち組とはなんだろう?

 

私個人は「自分で自分を幸せにしている人」だと思うのです。

今日は、私が42年間で考え至った「幸せ」について共有したいと思います。

へー、ほーお、とスナックでもつまみつつお読みいただけると嬉しいです。

不良ミニマリストの幸せの条件

私が自分を幸せにできると考える、最低限の条件を書き出してみました。

 

生活に困らない程度のお金がある

旅行や買い物を生きがいとする私は、年収1,000万円以上が幸せの最低ラインと本気で考えていました。

でも、日本で1,000万円稼ごうとするとかなりの労力を必要としますよね。

でも幸せな生活ってなんだろう?と原点に戻ってみると、

 

豪華ではないけれど、旬の美味しい食材をいただく。
海の近くに住んでいるので、海を眺めながらコーヒー片手にまったり。
図書館で未知のジャンルの本を読む。
日帰りの源泉掛け流しの温泉に浸かる。
お家でちょっといいお茶を淹れて、Primeで映画を観る。

 

どれもそこまでお金はかからないのです。

贅沢をしなくてもけっこう幸せなんです。

こんな感じ考えると私の場合は、年収350万円ほどあれば投資も貯金もしながら楽しく生活できる、という考えに至りました。

世の中には年収100万円以下で幸せにやりくりするツワモノもいますが、私のボーダーは大体年収350万くらい。

もちろん、お子さんがいたり一人暮らしであったりと状況によって必要な金額も変わると思われるため、人によってボーダーはそれぞれだと思います。

あと、自分はコレくらいあれば幸せ、という棚卸しは毎年行うようにしています。

家庭に笑いが絶えない

住人が常にゴキゲン、というのも私の外せない幸福の条件の一つです。

私はスピリチュアルには全く疎いのですが、住人のゴキゲン度がそのまま家全体の「気」に直結していると強く思うのです。

外から疲れて帰宅して、家族がニコニコしてるだけでホッとしますよね。

一人暮らしの方なら、帰宅した瞬間に顔がバラ色になれるような空間であるとかが良いですね。

逆に誰もが羨む豪華な家に住んでいるのに、ヒステリックな面々ばかりだとしたらどうでしょうか?私なら帰らなくなると思います。

人が羨むようなものは持ってる必要はなく、住人がただゴキゲンというだけで家族全員のストレスが溜まりにくく、病気にもなりにくく、長生きもでき、良いことづくめです。

家の中が美しく整っている

家とは「自分という大切な存在」を収納する大事な箱だと思っています。

「自分の能力を発揮できるか否かは、住んでいる環境に大きく依存する」と、思うようになってからは、住環境にかなり気をつけるようになりました。

モノが溢れていた頃、私には特に挑戦してみたいことはありませんでした。

する事がないから、買い物や飲み会に参加することで散財し、時間もお金もなくなって、また家がモノで溢れる、の繰り返し。

モノが多いと管理しきれないため、掃除もめんどくさくなり、ゴミ屋敷化…というループにはまり、ついにはセルフネグレクトに。

当然、仕事にも力が入らないから、年収も上がりませんでした。

そんなわけで、家の中が整うことも、私の外せない幸福条件の一つです。

自由度が高い

自分のやりたいことを我慢しなくて良い、というのも幸福の条件の一つだと思っています。

人生は、おそらくとても短い。

例えば、

憧れの仕事に挑戦してみる
ずっと気になっていた分野の勉強を始めてみる
行ってみたかった土地に旅する
憧れのブランドのアレを買う
思う存分大好きな漫画に没頭してみる

これらはほんの一例ですが、

挑戦してみたいことに自由度があることは、人生を実り豊かにするために外せない要素だと思います。

仕事や育児、はたまた体調の関係などでなかなか自由ではない期間があるかもしれません。

けれどどんなに小さなことでも、自分軸で選んだ「やりたいこと」に挑戦できれば、人生が終わる瞬間、過去の自分に感謝できると思うのです。

「できない」と制約をかけるのではなく、「どうしたらできる?」と感情抜きに合理的に進めていくことが、自由度を高めていく秘訣なのかなと思います。

 

さいごに

他人軸で幸せを測るのは不毛だなーと強く思うこの頃。

私たちは思った以上に世間が考えた「幸せ」の呪いに洗脳されている気がします。

以前、結婚したばかりの友人から、

「私は専業主婦を勝ち取れたよ!願えばあんたもなれるんだから頑張って。」

と当たり前のように励まされたことがありました。

結婚しても仕事を辞めるつもりがなかった私は、ここまで当たり前のように宣言されたことに対し、

「そうか、人によって幸せの基準は違うんだ」

と強く印象に残った記憶があります。

結果、私は専業主婦にはなれていないので、彼女の軸の幸せを信じ続けていたら「自分はなんて不幸だろう」と思っていたかもしれません。

 

多様化していく世の中では、人によって人生に求めているものが全然違うってことを、たま〜にでも意識してみると人生がラクになります。

幸せは自分で決めたいんだよなあ。 byそらこ。

 

 

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